Primitive Ocean

 長文になる時用のブログ。

少年の日の思い出

 図書館で、よく中学校の教科書に載っている、ヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」を見つけたので、借りて読んでみました。

 この話は、語り手の「ぼく」の視点で書かれているので、エーミールは嫌なやつだと書かれているけど、果たしてエーミールは本当に嫌なやつだったのかと言うと、私にはそうは思えないんだよね。

 「ぼく」がエーミールのことを、嫌なやつと思っていた理由は、模範生徒であり、優れた標本作成の技術を持っていたことや、自分の部屋を持てるほど裕福だったことなど、どれも一方的な嫉妬ばかりで、エーミール自身が「ぼく」のことを見下していたとか、嫌がらせをしていたとか、そういうことではなさそうなんだよね。

 エーミールの側からすれば、単に自分の生き方が、はたから見ると模範的だっただけで、特別「ぼく」や他の人たちを意識していたわけじゃない。蝶の収集にしても、「ぼく」はエーミールの標本作成の技術に嫉妬していたけど、エーミールからすると、「ぼく」のことは、同じ蝶の収集を趣味としていたので、むしろ好意的に見てたんじゃないかなと。

 で、「ぼく」が珍しいコムラサキの標本をエーミールに見せたのも、エーミールが悔しがる姿を見てみたい、優越感に浸りたいなどの気持ちがあったからなんだろうけど、エーミールは「ぼく」の期待に反して、その珍しさを認めながらも、展翅の仕方などを批判した。

 「ぼく」の側からすれば、元々嫉妬というフィルターが心にかかった状態でエーミールを見ていたから、エーミールの批判を悔しさからくるあら探し、みたいに解釈したんだろうけど、エーミールの側からすると、こんな珍しい蝶を手に入れたのだから、もっと大切に扱うべきだって指摘しただけだったんじゃないかな。

 その際エーミールは、先生の息子だそうだし、言い方が教師っぽくなってしまったのかも知れないけど、悪意があって言ったのではではなかったんじゃないと。

 さらに言うと、脚が2本欠損していたという指摘は、後注によると、コムラサキの脚は2本が退化していて、あたかも欠損しているように見えるので、実は見間違いだったのではないかと書かれている。

 ここからは完全に想像だけど、もしエーミールがそのことに、のちに気がついたなら、そのことについては「ぼく」に間違いだったと謝りたいと思ったかも知れない。完璧主義者っぽく描かれているエーミールは、自分が間違えたことに気がついたなら、そのことを放置するのは許せない性格なんじゃないかなって思う。

 クジャクヤママユの標本は、そのきっかけになるはずだったのかも知れない。その標本を「ぼく」に見せることをきっかけにして「実はあの時のことは……」と話を切り出すつもりだったのかも知れない。

 でも「ぼく」はエーミールに対して、最悪の裏切り行為をしてしまった。それでエーミールは、「ぼく」に対して抱いていた感情を180度変え、「ぼく」のことを本当に見下して、軽蔑するようになってしまった。

 「ぼく」が一方的に抱いた嫉妬心が、エーミールとの関係を、永久に破壊してしまったと言える。

 ちなみに「ぼく」は、クジャクヤママユの標本を壊してしまった時、どうすればこの標本を直せるかとか、どうすれば償えるかとか、そんなことばかり考えていて、エーミールの心を傷つけてしまった、ということには一切触れてないんだよね。自分が壊したことを白状したあとも、言い訳を始めようとしていたし。エーミールは「ぼく」の反応からそのことを見抜いたからこそ、徹底的に冷酷に軽蔑したんじゃないかな。

 「ぼく」がエーミールの心を蔑ろにしたことで、自分にもエーミールにも、癒すことができない深い傷をつけてしまった。そんな話だったんじゃないかなって思う。